焼津神社

鎮座地
〒425-0026
投稿日:訪問日:評価:4.5 “焼津神社”1600年以上の歴史を持つと伝えられる焼津神社
主祭神は日本武尊/ヤマトタケルノミコトで、日本神話の英雄として知られる神さまです
伝承によると、日本武尊は東征の途中、この地で賊の火攻めに遭いました
しかし彼は草薙剣/クサナギノツルギを抜き、草を薙ぎ払い、さらに向かい火を放って敵を討ち滅ぼしたといわれています
まるで古代の戦記映画のような劇的な場面
この出来事に由来して、この地は「ヤキツ」と呼ばれるようになりました
『日本書紀』では焼津、『古事記』では焼遣と記されており、これが現在の「やいづ」という地名の起源とされています
ただし、『日本書紀』ではこの「ヤキツ」を駿河国とし、『古事記』では相武国(相模国とも)とするなど、記述に違いがあります
これについては誤記説や、相模国が古くは駿河を含む広い領域を指したとする説、または駿河と相模の両方に「ヤキツ」が存在したとする説などがあり、いまだ明らかではありません
『焼津市史』では、『日本書紀』の記述の方が原初的で、『古事記』の方は後世の加筆が見られるとされています
『万葉集』にも「焼津邊/ヤキヅノヘ」を詠んだ歌があり、古くからこの地名が人々に知られていたことがうかがえます
学術的には、日本武尊は実在の人物ではなく、各地の英雄伝承をまとめた象徴的存在と考えられています
「焼津」という地名も、もともと「ヤキツ」と呼ばれていた土地に伝説が重ねられたものとされています
一説では、焼津地域に天然ガスが多く、かつて自然発火が絶えなかったため「焼ける地=焼津」となったとの説も
自然の炎が生んだ地名に、神話の炎が重なった――そんな不思議な縁を感じさせます
ですがやはり日本武尊に絡んだ説の方が夢があっていいですね
(^―^)
かつて焼津神社は現在地の南東に鎮座していましたが、土地が海に沈み、のちに現在の場所へ遷座したと伝えられています
海とともに生きる町らしい逸話
現在の焼津神社は、厄除開運・勝運の神として、また港町らしく海上安全・大漁満足の神として信仰を集めています
毎年八月の例大祭は「東海一の荒祭」として知られ、勇壮な神輿(みこし/ミコシ)が街を練り歩き、その迫力はまるでかつて火の中を駆け抜けた日本武尊の勇姿を再現しているかのようです



