名称
東光山 最明寺

所在地
〒410-2211
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投稿日:訪問日:評価:5“最明寺”最明寺は、鎌倉幕府五代執権北条時頼の遺骨を分骨するために建てられた寺。
当初は臨済宗の寺だったが、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原攻めで焼失した後、1605年(慶長9年)に日遠が再興して日蓮宗に改宗されたのだという。
山号は東光山。
本尊は十界勧請曼荼羅。
『吾妻鏡』によれば、赤痢を患っていた北条時頼は、1256年(康元元年)11月22日、執権職を辞任。
翌日、鎌倉の最明寺で蘭渓道隆を戒師として出家し、「最明寺入道」と呼ばれるようになる。
それから7年後の1263年(弘長3年)11月22日、最明寺の北の屋敷で37歳で亡くなった。
『吾妻鏡』には、 坐禅をくみながら臨終をむかえたことが記されている。
https://www.yoritomo-japan.com/nirayama-saimyoji.htm
