秋田 大仙市

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山神社
- 大仙市大沢郷宿宿130
八幡神社
- 大仙市四ツ屋八幡野16
白山神社
- 大仙市木原田林の腰47
中山神社
- 大仙市内小友森東106
山神社
- 大仙市南外上野99-44
龍光神社
- 大仙市神宮寺釜ヶ渕5
久須志神社
- 大仙市神宮寺布晒58
御嶽神社
- 大仙市南外大向146
熊野神社
- 大仙市北長野熊野堂1
愛宕神社
- 大仙市南外古館山13
加茂神社
- 大仙市下深井板口端15
本照寺
- 大仙市藤木丙大久保23
稲荷神社
- 大仙市南外中袋86
神明社
- 大仙市飯田家の前107
種蔵院
- 大仙市上鶯野宇嶋越60
白山神社
- 大仙市土川宮林1
神明社
- 大仙市北野目後野251
伊豆神社
- 大仙市南外宮田22
水神社
- 大仙市大巻宅地28-58
神明社
- 大仙市神宮寺宇留井谷地2
稲荷神社
- 大仙市福田上福田11
奠蔵院
- 大仙市豊川囲の内94
八幡神社
- 大仙市鑓見内幕林143
泉勝寺
- 大仙市寺館76
三嶽神社
- 大仙市豊岡長兵ェ野151
八幡神社
- 大仙市内小友宮後102
神明社
- 大仙市神宮寺八石高野200
北畑神社
- 大仙市板見内北畑116
山神社
- 大仙市南外外小友十二ケ沢167
愛宕神社
- 大仙市板見内荒巻105
秋田の御祭り・行事一覧(2022年度)※
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。