秋田 神道 祭神

伊邪那美神
天地開闢(てんちかいびゃく)における神世七代の最後の神であり、『伊邪那岐神』とともに生まれる。『伊邪那岐神』の妻であり、最初の夫婦神でもある。母として多くの子を成した事から「万物を生み出す神」「創造神」「海の神」と信仰されている。
また黄泉国の主宰神でもあり黄泉津大神とも言われる。
御祀りをしている施設一覧※
綴子神社
- 祭神:伊邪那美命
- 北秋田市綴子西館47
白山神社
- 祭神:伊邪那美命
- 雄勝郡羽後町赤袴中嶋6
加美現威神社
- 祭神:伊奘冉尊
- 仙北市西木町上荒井新屋148
草城神社
- 祭神:伊弉册命
- 鹿角市十和田草木館ノ下52
御嶽神社
- 祭神:伊邪那美神
- 湯沢市相川外の目23
神明社
- 祭神:伊邪那美命
- 秋田市河辺戸島七曲台1
熊野神社
- 祭神:伊邪那美命
- 秋田市泉五庵山28
平澤神社
- 祭神:伊弉册大神
- 秋田市雄和平沢大部78
白山神社
- 祭神:伊邪那美大神
- 雄勝郡羽後町上仙道仙道沢311
秋田県護國神社
- 祭神:伊邪那美命
- 秋田市寺内大畑5-3
鮎川神社
- 祭神:伊邪那美命
- 由利本荘市町村上ノ畑65
熊野神社
- 祭神:伊邪那美神
- 大仙市北楢岡北楢岡53
岩井川神社
- 祭神:伊邪那美命
- 雄勝郡東成瀬村岩井川荒沢5
根井神社
- 祭神:伊邪那美大神
- 大館市花岡町根井下284
八坂神社
- 祭神:伊弉册命
- 仙北市西木町西明寺堂村162
稲荷神社
- 祭神:伊邪那美命
- 由利本荘市金山金山25
熊野神社
- 祭神:伊邪那美命
- 由利本荘市西小人町25
北浦神社
- 祭神:伊邪那美大神
- 男鹿市北浦北浦山王林1
熊野神社
- 祭神:伊邪那美命
- 雄勝郡羽後町飯沢院ケ台6
古四王神社
- 祭神:伊邪那美命
- 横手市十文字町植田宮ノ前6
新山神社
- 祭神:伊邪那美命
- 能代市新山前97
深堀神社
- 祭神:伊邪那美神
- 湯沢市深堀深堀75
七高山神社
- 祭神:伊邪那美大神
- 雄勝郡羽後町新町岩見沢21
熊野神社
- 祭神:伊邪那美命
- 湯沢市小野小野115
熊野神社
- 祭神:伊邪那美大神
- 横手市睦成関根52
熊野神社
- 祭神:伊邪那美命
- 大館市中山中山86
稲荷神社
- 祭神:伊邪那美命
- にかほ市芹田高磯63
熊野神社
- 祭神:伊邪那美命
- 秋田市下北手柳館細谷沢91
日吉神社
- 祭神:伊邪那美神
- 秋田市上北手猿田大場沢76
日枝神社
- 祭神:伊弉册命
- 由利本荘市深沢神野178
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。