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明治から昭和二十一年の制度廃止まで府・県から奉幣を受けていた神社一覧。
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  • 投稿者かかし
    (117件)
    投稿日:訪問日:
    ⛩阿波々神社|静岡県 “阿波々神社”

    標高532mの粟ヶ岳山頂に鎮座し、その“茶”のマークで広く知られています
    創建は天平8年(736)と伝えられ、1200年以上の歴史を有しています

    特に掛川城主であった朝比奈氏に代々崇敬されていましたが、戦国時代末期に武田・徳川の遠江を巡る攻防(高天神城の戦い等)で神社は被害を受け、一時的に廃社同然になったと言われています

    しかし、その後、粟ヶ岳の美しい桜が訪れる人々を魅了し、整備が進められ、神社は見事に復活を遂げました

    【無間の井戸】
    遠州七不思議のひとつとして知られる「無間の井戸」
    本殿裏にひっそりと存在するこの井戸には、不思議な言い伝えがあります

    かつて、阿波々神社に隣接する無間山観音寺(1961年に廃寺)にあった梵鐘がありました
    鐘をつけば巨万の富が得られますが、死後には無間地獄に堕ちるという「究極の選択」を迫る鐘としてぶら下がっていたと言います

    これに憂慮した住職は、明応時代にこの鐘を井戸に沈めたと伝えられており、それが今も残る「無間の井戸」だと言われています

    地獄では蛭/ヒルに変わり、食事も取れずに苦しむとされています

    この伝説をもとに、次のような歌も詠まれました

    「女房の朝寝と無間の鐘は、朝のごはんが蛭(昼)になる」

    後世には、この井戸に榊の枝を逆さに投げ入れることで、鐘をついたのと同じ功徳が得られると信じられるようになりました

    地獄の入り口は磐座の隙間にあるとも言われており、興味のある方は、井戸に榊を投げ入れ、磐座へ向かってみるのも良いかもしれません
    ( ̄ー ̄)ニヤリ

    【鐘伝説の真相】
    鐘をつけば以下のような幸運が訪れるとの噂が発端です

    1回つけば災難を免れ、2回つけば病を除き、3回つけば家が栄え、4回つけば運が開け、5回つけば子孫が栄え、6回つけば武運長久となり、7回つけば長者になれる――

    これを信じて鐘をつきに訪れる人が増えましたが、当時の道はとても険しく滑って谷底に滑落、死傷者が多く出ました

    その為、この鐘は「地獄へ落ちる鐘」と恐れられるようになったのです

  • 投稿者神崎 悟
    (55件)
    投稿日:訪問日:
    ⛩元宿堰稲荷神社|東京都 “お化け煙突ゆかりの神社、煉瓦造りの本殿”

    創立は宝暦年間とされていますが、むしろ戦前に当地に存在していた「お化け煙突」の守護神として知られています。
    大正末期に千住の地に建造された国内最大級の火力発電所には四本の巨大な煙突が立っていましたが、
    角度によって互いに重なり合うなどして見える本数が変化し、
    その大きさへの畏敬も込めて「お化け煙突」と呼び習わされました。
    その火力発電所の守護神とされたのが、この一帯の総鎮守だった当社で、往時の威光を今に伝えています。

    もう一つ特徴的なのが本殿で、普段は外から窺えませんが、珍しい煉瓦造りとなっています。
    これは隅田川から良質の土が採れる足立区ではかつて煉瓦製造が盛んで、
    戦前には区内に15箇所もの煉瓦工場があったという歴史と無関係ではないでしょう。
    事実、調べてみると足立区内には煉瓦造りの祠を持つ小社がいくつも点在しており、
    これは他所には見られない傾向なので、区の歴史を裏付ける貴重な証拠といえます。

    参考までに以下、足立区内の煉瓦造りの社を列挙しておきます。
    ・元宿堰稲荷神社(千住桜木3224)本殿
    ・島氷川神社(鹿浜2-28-4)境内稲荷社
    ・堀之内氷川神社(堀之内1-7-4)末社稲荷社
    ・加賀町会会館(加賀2-6-5)山王社
    ・加賀天満宮(加賀2-18-12)(※拝殿台座が煉瓦造)
    ・扇公民館(扇3-12-11)裏手の稲荷社

  • 投稿者神崎 悟
    (55件)
    投稿日:訪問日:
    卍幡勝山 炎天寺|東京都 “変わった寺名に歴史あり”

    炎天寺とは何とも変わった寺名ですが、そこには本地の歴史が関係しています。
    時は千余年前の天喜年間、前九年の役に出陣した源頼義・義家父子が旧暦六月の炎天下に当地で苦戦し、
    氏神の八幡神に戦勝祈願をしたところ、見事奥州の安倍一族を征討できました。
    その後、義家らは戦勝を祝して当地に八幡神社および寺院を建立しましたが、
    炎天下の祈願にちなんで寺名とし、一帯の地名も「六月」となったのです。
    八幡神は寺の北側に接する六月八幡神社に祀られています。

    江戸時代には俳人の小林一茶が当地に滞在し、
    有名な「やせ蛙~」の句や、炎天寺に関する俳句を詠んだといい、
    その関係で境内には一茶関連の事物が多く見られ、例年11月には一茶まつりが催されています。