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H K

平成31年1月御朱印集めを始め…神社を巡るうちに今まで興味を持たなかったことに目覚めて、勉強中です。

会員見聞録

口伝の数/写真の数/御朱印取得数

  • 301件~
  • 101~300件
  • 51~100件
  • 11~50件
  • 1~10件
青森県
19件
岩手県
126件
宮城県
49件
秋田県
120件
山形県
187件
福島県
12件
栃木県
24件
群馬県
53件
埼玉県
110件
千葉県
13件
東京都
100件
新潟県
416件
福井県
77件
茨城県
7件
神奈川県
10件
富山県
1件
石川県
1件
長野県
9件

投稿した口伝

  • 投稿者H K
    投稿日:訪問日:
    ⛩白瀧神社|群馬県 “白瀧神社の由来‐ホームページより‐”

    桐生市川内町五丁目(旧仁田山)に鎮座する白瀧神社の御祭神は天八天千々姫命(アメノヤチチヒメノミコト)(織物・紡績の神)に白瀧姫の御霊を合祀したものである。

     白瀧姫は、横萩右大臣豊成公の二女として天平宝字年間(757~764)に京都においてお生まれになり長じて御所に白瀧の前(キサキ)と称し官女として奉仕したる折に仁田山の住人‐山田舎人(とねり)が郡役として御所に奉仕する。当時文学盛んにしてしばしば御歌の会が催され数々の詠進の中に白瀧の前と山田の詠進に相互の思慕の念顕れ、この由叡聞に達し御感のあまり白瀧姫を山田の舎人に下され相伴い仁田山に帰り来しと云う。

     白瀧姫は養蚕・製糸・機織りの業をよく修めこれらを里人に教え、土地の産業として広く及ぼし依って織物発祥の祖、機神天神として祀り祭事を執り行う。明治初年『白瀧神社』と改称し現在の社殿を修造する。その後、織物の隆盛に伴い崇敬者の寄進により神楽殿、手水舎、社務所、参集殿を築造し社頭整備等で尊厳維持をはかり、桐生市の名勝の一つにかぞえられている。

     境内の『降臨石』と称する大岩は、その昔耳をあてると機音が聞こえてきたが不心得者が雪駄を履いて岩に上がってから機音が止まってしまったとの言い伝えがある。

  • 投稿者H K
    投稿日:訪問日:
    卍関松山 松山寺|福島県 “真言宗智山派 関松山 松山寺(しょうざんじ)”

    ▶いわき市観光サイトより引用

    大同2年(807)に徳一大師が創建したと伝えられています。ご本尊は大日如来。他に阿弥陀如来2体、如意輪観音、延命地蔵尊、波切不動尊、薬師如来が祀られています。
    所蔵する県指定重要文化財の、紺紙金字法華経8巻は、紺紙に金泥で経文が書かた見事な装飾経で、見返しに経文の趣意を表す絵が描かれ、軸は水晶が用いられています。平安時代から鎌倉時代初期の法華経信仰が広まった時代に書かれたものと伝えられています。
    また、江戸時代3代将軍徳川家光以降の歴代将軍から届けられた朱印状、1577年に岩城親隆夫人の桂樹院が松山寺に宛てた書状などの、古文書が伝承されています。
    境内ある、関田観音堂には十一面観音立像が祀られ磐城三十三観音11番札所。江戸時代の俳人内藤露沾に勿来八景・関田晩鐘として詠まれた景勝地で、句碑が鐘楼の側に建立されています。

    ・紺紙金字法華経 県指定重要文化財(昭和30年2月4日)
    ※常設展示は行っておりません。

    磐城三十三観音11番札所
    八十八カ所霊場12番札所
    ふるさと108地蔵97番札所

  • 投稿者H K
    投稿日:訪問日:
    ⛩諏訪神社|岩手県 “北上諏訪神社由緒(ホームページより…)”

    云い伝えによれば、大同二年(八〇七)皇紀第五十代桓武天皇の勅命により、坂上田村麻呂将軍が東夷征定の時、当地方の開発と産業の発展を祈願し、信濃の国諏訪大社建御名方神の御分霊をはじめ、その他時代とともに五柱の神様を勧請し建立されたと云われております。
     その後、慈覚大師が諸堂を建立し、御世第七十代後冷泉天皇の勅命を蒙り、源頼義、安部頼時を征定の際祈願をいたし、報賽によって社殿を修築されました。
     諏訪神社はもと、元宮の地(市内幸町地内)に鎮座しておりましたが、南部家二十九代藩主重信公崇敬篤く享保十九年(一七三四)に現在地に社領を賜りました。神仏混淆の時代は諏訪山護国寺と云い、一寺一社の社格でした。又、諏訪宮・お諏訪さんと称えられて各町村民の信仰が篤く、御神徳が益々昂揚されました。
     この地方に長く伝えられたという川岸剣舞(廃絶)は諏訪大明神のお告げによって、前九年の役で滅んだ黒沢尻五郎正任の亡霊を鎮める為に舞ったのが始まりといわれ、諏訪神社の神事芸能でありました。
     明治維新後は、社名を諏訪神社と称され北上市・和賀郡一円の総鎮守・氏神様として旧社格郷社に列しました。
     主祭神である建御名方神は、開拓の神・軍神として知られ、また農耕神、狩猟神として信仰されています。風の神ともされ、諏訪の神が神風を起こしたとする伝承もあることから武運の長久と国家安泰の神であり、御祭神名の「ミナカタ」は「水潟」の意であり元は水神であったと考えられます。
     広くは雨・風の守り神、水の守護神で五穀豊穣の神で生命の根源・生活の源を守る神であり、家内安全・健康長寿・商工業の繁栄・開運招福など、他にも合祀されている五柱の神をはじめ、末社の神々の強いみ光を仰ぎ御神徳は広大無辺であります。
     平成十九年御鎮座千二百年を迎え、奉祝記念大祭を厳粛に壮大に執り行われました。記念事業の一端として、社殿・社務所・参集殿増改築工事をし、神威あらたに北上市・和賀郡の総鎮守氏神として歴代尊崇変わる事なく、神威益々厳然として現在に至っております。

得した電子御朱印