長野 名所・観光地

延喜式神名帳 式内社
延喜五年(西暦905年)より編纂の『延喜式』に記載された、古代律令制における官社指定の神社一覧。
名所・観光地一覧
頥氣神社
- 東山道 [論社] 信濃國更級郡 頤氣神社
- 長野県長野市松代町西寺尾柳島1006
治田神社
- 東山道 [論社] 信濃國更級郡 治田神社
- 長野県千曲市稲荷山1650-1
治田神社
- 東山道 [論社] 信濃國更級郡 治田神社
- 長野県千曲市桑原宮沖1
武水別神社
- 東山道 [論社] 信濃國更級郡 武水別神社 名神大
- 長野県千曲市八幡3012
樋知大神社
- 東山道 [論社] 信濃國更級郡 武水別神社 名神大
- 長野県長野市大岡丙5405-2
美和神社
- 東山道 信濃國水内郡 美和神社
- 長野県長野市三輪相ノ木東514
妻科神社
- 東山道 信濃國水内郡 妻科神社
- 長野県長野市南長野本郷219-1
守田神社
- 東山道 [論社] 信濃國水内郡 守田神社
- 長野県長野市七二会乙2769
守田廼神社
- 東山道 [論社] 信濃國水内郡 守田神社
- 長野県長野市高田八幡宮西沖174
守田神社
- 東山道 [論社] 信濃國水内郡 守田神社
- 長野県長野市穂保 951
風間神社
- 東山道 信濃國水内郡 風閒神社
- 長野県長野市風間宮河原779
諏訪社合殿
- 東山道 [論社] 信濃國水内郡 白玉足穗命神社
- 長野県長野市中条2270
飯縄神社
- 東山道 [論社] 信濃國水内郡 白玉足穗命神社
- 長野県長野市富田向台380
飯縄神社
奥宮 - 東山道 [論社] 信濃國水内郡 白玉足穗命神社
- 長野県長野市戸隠 飯綱山
皇足穂命神社
- 東山道 [論社] 信濃國水内郡 白玉足穗命神社
- 長野県長野市信州新町里穂刈287-1
皇足穂吉田大御神宮
- 東山道 [論社] 信濃國水内郡 白玉足穗命神社
- 長野県長野市吉田1-680
健御名方富命彦神別神社
- 東山道 [論社] 信濃國水内郡 健御名方冨命彦神別神社 名神大
- 長野県長野市箱清水1-3-5
健御名方冨命彦神別神社
- 東山道 [論社] 信濃國水内郡 健御名方冨命彦神別神社 名神大
- 長野県長野市信州新町水内斉宮3154
健御名方富命彦神別神社
- 東山道 [論社] 信濃國水内郡 健御名方冨命彦神別神社 名神大
- 長野県飯山市豊田伊豆木原3681-1
墨坂神社
- 東山道 [論社] 信濃國髙井郡 墨坂神社
- 長野県須坂市須坂芝宮1048-1
墨坂神社
- 東山道 [論社] 信濃國髙井郡 墨坂神社
- 長野県須坂市墨坂1-9-5
小内神社
- 東山道 [論社] 信濃國髙井郡 越智神社
- 長野県長野市若穂綿内5908
宮王神社
- 東山道 [論社] 信濃國髙井郡 越智神社
- 長野県長野市若穂綿内山崎3424
諏訪社
- 東山道 [論社] 信濃國髙井郡 越智神社
- 長野県長野市若穂綿内清水2351
越智神社
- 東山道 [論社] 信濃國髙井郡 越智神社
- 長野県須坂市幸高屋敷添389
越智神社
- 東山道 [論社] 信濃國髙井郡 越智神社
- 長野県中野市越屋敷添740
小内
八幡神社 - 東山道 [論社] 信濃國髙井郡 小内神社
- 長野県中野市安源寺石原572-1
欅原神社
- 東山道 [論社] 信濃國髙井郡 小内神社
- 長野県上高井郡小布施町都住三毛282
高杜神社
中社 - 東山道 [論社] 信濃國髙井郡 髙社神社
- 長野県中野市赤岩神宮寺下563
高杜神社
奥社 - 東山道 [論社] 信濃國髙井郡 髙社神社
- 長野県中野市赤岩神宮寺
長野の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
洩矢神社|岡谷市 “洩矢神社”
★諏訪に地で 起こったアナザー 国譲り★
もりや神社
諏訪地方の伝承に登場する洩矢神/モリヤシンを祭神としている創建年代は不詳の神社
洩矢神は旧橋原村の昔からいる産土神で諏訪大社上社に務めてきた守矢氏の遠祖とも言われています
【もう一つの国譲り】
国譲りとは古事記において天の国を司る天照大御神が地上を統べる大国主に地上の支配権を譲るよう迫った話
その際天照大御神側に抵抗したのが大国主の息子の建御名方神/タテミナカタノカミ
結局刺客に打ち負かされ最終的にここ諏訪の地まで逃げてきて、諏訪大社の祭神になったと古事記では伝えられています
ところが諏訪には古くから鎮座していた土着の神がいました
それが洩矢神です
命からがら逃げてきてこの地に辿り着いた建御名方神とはいえ、洩矢神からすれば地域を脅かす侵入者
両者の間には激しい戦いがあったと伝えられていますが、最終的に洩矢神は敗北し建御名方神に降服しました
その後、洩矢神は建御名方神に仕えることとなり、守矢氏がその後裔とされ、諏訪大社上社の神職を務めるようになったと伝えられています
尚、この神社はその戦いの際の洩矢神軍の陣地跡とされているようです
※建御名方神の陣地跡は三沢区にある藤島神社とされている
【藤島神社との祟り】
昔の話によると、洩矢神社はもともと天竜川のほとりにありました
そこには大きな藤の木があり、対岸の藤島神社の藤の木と絡み合って、まるで大きな橋のように見えるほどでした
あるとき、藩主が川で蛍狩りをするために藤を切るよう命じましたが、人々は神様の怒りを恐れて誰も切りたがりませんでした
そんな中で新屋敷の小石嘉右衛門という者が報酬目当てで藤を切るのですが、お約束通り罰が下りすぐに気が変になり亡くなってしまうのでした
さらに祟りはそこに留まらず藤を切る命令を出した藩主にもおよびます
藩主は神の怒りを鎮めるため城内にて祠を作り奉納しようとしましたが、大きく作りすぎて城門を通れなかったというコントのような展開に
(;^_^A
仕方なく祠を再度小さく作り直し奉納したのが現在の神社の本殿なのだそうです
【東方風神録の聖地】
東方風神録とは上海アリス幻樂団制作の弾幕系シューティングゲームの名前
ゲームストーリーは諏訪地方の神話・伝承がテーマの下地としており、登場人物に洩矢 諏訪子(もりや