静岡 賀茂郡東伊豆町

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地域の祭り・行事一覧(2025年度)

来 月内 容神社・寺院
1月24日(土)例祭⛩愛宕神社

地域の新着口伝

  • 投稿者かかし
    (142件)
    投稿日:訪問日:
    ⛩素盞嗚神社|賀茂郡東伊豆町 “素盞嗚神社”

    ★暴れ神 も見とれるほどの 雛飾り★

    素戔嗚神社/スサノオジンジャ

    その名のとおり、日本神話界屈指の暴れん坊・素戔嗚命/スサノオノミコト を祀る神社です

    建立は1617年で、さりげなく400年以上の歴史を誇る古社であり、地元では「天王様/テンノウサマ」の愛称で親しまれています

    素戔嗚命は、太陽神・天照大御神/アマテラスオオミカミの弟君で、姉を天岩戸に引きこもらせるほどのやんちゃぶりを見せた末、天界を追放された経歴の持ち主です

    しかしその後、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治するなど、神話界に数々の武勇伝を残し、頼れる神様へと進化を遂げていきます

    このような神様を祀る神社ですが、実は本殿よりも有名なのが「雛飾り」です

    勇ましい神とお雛様、一見関係がなさそうですが、人気の理由は明白です

    一の鳥居から二の鳥居まで、石段118段にずらりと並ぶおよそ600体の雛人形

    その光景は圧巻の一言です

    例年2月下旬から3月上旬の約1か月間、地元有志の手により、雨天以外は毎日飾りつけが行われています(10:00~15:00目安)

    ひな壇はパーツごとに分かれており、設置はしやすい形状になっているそうですが、それでもこの作業を毎日行うのは大変でしょう

    期間中は全国から観光客が押し寄せ、伊豆の春の風物詩としてにぎわいを見せています

    休日は混雑必至のため、早めの到着をおすすめします

    拝観料は施設管理費として300円です。

    SNS映えはもちろん保証付きです
    ( ̄ー ̄)ニヤリ

    ちなみに、石段118段の雛飾りは「日本一」とうたわれていますが、実は隣町・下田市の天神神社/テンジンジンジャ でも同じく118段の雛飾りが行われています

    どちらが一番かはさておき、雛人形への熱量が高い地域であることは間違いありません

    この界隈では、女の子の誕生率が高いんでしょうかね
    (。-∀-) ニヒ

    駐車場:海沿いにあり 上階の方にもありますが数台のみなので期間中は難しいかも
    御朱印:雛飾りの時期のみ書置き
    階段下にて臨時の販売所が設置されます

  • 投稿者かかし
    (142件)
    投稿日:訪問日:
    ⛩蛭子神社|賀茂郡東伊豆町 “蛭子神社”

    【御祭神】
    蛭子神 ヒルコシン

    『古事記』にて国産みの際、イザナキ(伊邪那岐命)とイザナミ(伊邪那美命)との間に生まれた最初の神ですが、不具の子として産まれてしまいました

    原因は子作りの際に女神であるイザナミから先に男神のイザナキに声をかけたから

    イザナキ・イザナミ神の言葉として「わが生める子良くあらず」とあるのみで、実際にはどういった子であったかは不明ですが、手足が無い、または水蛭のように手足が異形であった子と解釈されています

    その後、天磐櫲樟船(あめのいわくすぶね)に乗せられ産まれたオノゴロ島より流されてしまいます

    ひどい話ですね(/ω\*)ウゥ…


    流された蛭子が辿り着いた先は日本各地に残っており、いずれも蛭子神を祀る神社が存在します

    また日本海側沿岸では漂着物をエビス神として信仰する事も多いようです


    後世になり七福神の恵比寿神と同一視されるようになります

    海から流れ着いた事で豊漁の神となり、それが鯛を持つ恵比寿さんの姿と合致したんでしょうかね

    その為 蛭子とかいてエビスと読むことがあり、各地に苗字、地名が存在しています


    という事でここにも蛭子神が流れ着いたのでしょうか?

    であればオノコロ島は現在の淡路島と言われていますので、相当な長旅で来たのでしょうか・・

    そう考えると住宅街にぽつんとあるこのような小さな神社にも物語が生まれてきますね
    (^―^)


    尚、不具の子にまつわる類似の神話は世界各地に見られますが、一度葬った死神を後世に蘇生させて伝説や信仰の対象になった例は大変珍しいようです

  • 投稿者かかし
    (142件)
    投稿日:訪問日:
    ⛩八幡神社|賀茂郡東伊豆町 “八幡神社”

    ★神聖なる井戸と、頼朝の伝説★


    八幡神社は、静岡県東伊豆町稲取の総鎮守社として、地域の人々から深く崇敬されている神社

    創建時期は不詳ですが、境内から弥生時代の遺物が出土しており、古くから祭祀が行われていたと考えられます

    平安時代には三番叟形式の神事が行われ、現在は地域の子供たちによる「子供三番叟」が奉納されています


    ◇源頼朝との関り

    この神社は、源頼朝との縁が深く、境内の井戸は頼朝が源氏再興を祈願し水垢離(ミズゴリ = 神仏に祈願する際に冷水や海水を浴びて心身を清める慣習)を行ったと伝えられています

    また、頼朝が守り本尊とした仏像も祀られており、武運長久を願う多くの武士たちの信仰を集めました

    江戸時代には代官の厚い信仰を受け、幣帛(ヘイハク = 神道において神に捧げるものの総称)などの奉納が続けられました

    安政二年(1855)の江戸大地震の際、稲取出身者が無事であったことを氏神の加護と信じ、江戸在住の稲取出身者たちが拝殿の屋根瓦の寄付を申し出ました

    この際、江戸の豪商・伊勢屋善兵衛が特に金百両(約1000万)を寄付し、社殿の修復が実現したと言います

    1000万ですよ!太っ腹ですね ( ̄ー ̄)ニヤリ

    境内には当時の鬼瓦や寄附金の看板が陳列され、先人たちの尽力を今に伝えています


    ◇立派な社殿

    現在の社殿は元治元年(1864)に再建されたもので、天城の山から切り出された桧材を用いた立派な建物です

    近年、稲取地区財産区の補助を受け、屋根瓦の葺き替え工事が完了しました

    また、境内には貞享四年(1687)に建立された稲取産の石で作られた鳥居や、江戸城修築に用いられた築城石を基礎とする「日露戦役忠魂碑」があります

    こうした歴史を持つ八幡神社は、古くから稲取の人々とともに歩み、地域の信仰と文化を今に伝える貴重な存在です


    ◇名物 つるし飾り

    稲取地域では桃の節句の時に雛壇の両脇に一対のつるし飾りを飾る風習が江戸時代よりありました

    今でも2月から3月にかけて赤子を模した這い子人形や三番叟、うさぎなど多くの種類のつるし飾りが連なり垂れ下がる光景がこの境内で見られます



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    【御祭神】
    ・穂都佐和