静岡 賀茂郡河津町

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真乗寺- 賀茂郡河津町見高540
龍宮神社- 賀茂郡河津町谷津820
長福寺- 賀茂郡河津町浜290
慈眼院- 賀茂郡河津町梨本28-1

河津八幡神社 - 賀茂郡河津町谷津375
三養院- 賀茂郡河津町川津筏場807-1
隠了寺- 賀茂郡河津町見高入谷1679
虎杖山林際寺 - 賀茂郡河津町沢田82
宝林山称念寺 - 賀茂郡河津町浜334-1
乗安寺- 賀茂郡河津町谷津413
子守神社- 賀茂郡河津町大鍋390
龍王神社- 賀茂郡河津町見高40

佛法山専光寺 - 賀茂郡河津町谷津392
東大寺- 賀茂郡河津町峯382
梨本神社- 賀茂郡河津町梨本190

鳳儀山栖足寺 - 賀茂郡河津町谷津256
寿雲院- 賀茂郡河津町湯ケ野224-1

見高神社- 賀茂郡河津町見高624

姫宮神社- 賀茂郡河津町笹原314
須佐之神社- 賀茂郡河津町浜下小路
普門院- 賀茂郡河津町逆川500

川津来宮神社 - 賀茂郡河津町田中154
小鍋神社- 賀茂郡河津町小鍋155

子安神社- 賀茂郡河津町縄地穴口
天川神社- 賀茂郡河津町川津筏場44

琴海神社- 賀茂郡河津町見高386
蛭子神社- 賀茂郡河津町見高40
水神社- 賀茂郡河津町沢田宮田
長慶院- 賀茂郡河津町大鍋202
常光院- 賀茂郡河津町川津筏場64
地域の新着口伝
投稿日:訪問日:
子安神社|賀茂郡河津町 “子安神社”★知る人ぞ知る、伊豆のママサンクチュアリ★
『伊豆国神階帳』という、いわば伊豆国の古代神社リストに「従四位上 なつ姫の明神」と記されている神社
さらに『延喜式神名帳』という全国版の神社リストにも載っていて、そこでは「奈疑知命(ナギチノミコト)神社」と紹介されています
つまり簡単にいえば――超絶格上の神社ってことですね
なお、鎮座地の「縄地(なわち)」という地名は「奈疑知」が訛ったものだそうです
そんな御祭神・奈疑知命は「なつ姫」という女神で、どうやらここにしか祀られていない激レア女神とのこと
女神だからか、現社名「子安」にも表れているようにママたちの守護神とされています
“お乳の神”としても知られ、本殿裏の祠の前にある石をなでると母乳に恵まれると伝えられています
ママ友界では「ちょっとした騒ぎになったとか、ならなかったとか」的な都市伝説レベルの話題に
(。-∀-) ニヒ
しかも牛乳をかけると効能アップとの逸話もあり、牛乳片手に参拝するママが続出!
…ただし場所を間違えて拝殿にかけてしまう人が多発し、管理者から「ここじゃないぞ」という注意書きが貼られる事態に
知らない人からすると「何のこっちゃ?」ですが、知れば知るほどクセになる神社です
( ̄ー ̄)ニヤリ
乳神祠の横には小さな洞穴があり、これは女性器に見立てられていて安産祈願ができるそうです
さらに神社奥の海岸には男根を象徴する岩まで鎮座し、子宝祈願までフルカバー
まさに『たまごクラブ』『ひよこクラブ』で特集されてもいいくらいの神社
ただし場所は超絶分かりづらく、参道の途中で「え、これ道合ってる…?」と不安になること請け合いです
【相殿】
明治40年1月18日に合祀された山神社・天王社の祭神
駐車場:あり トイレ付
御朱印:見当たりませんでした
投稿日:訪問日:
河津八幡神社|賀茂郡河津町 “河津八幡神社”★後世に残る三大仇討ちのひとつ★
平安時代河津三郎と言う河津の領主がこの場所に館を構えておりました
この神社にはその三郎及び兄弟が祀られています
ではなぜその親子が祀られるようになったのでしょう
それはそれはこの親子が「赤穂事件」「鍵屋の辻の決闘」に並ぶ日本三大仇討ちの重要登場人物だからだそうです
▲▽▲日本三大仇討ちのひとつ 曽我兄弟仇討ち▲▽▲
事件の発端は、伊東祐親/スケチカ(曽我兄弟の祖父)が工藤祐経/スケツネ(曽我兄弟の叔父)の領地を奪った事で、工藤が部下を使い祐親を暗殺しようとした際、誤って祐親の息子河津三郎を射抜いて殺してしまった事
幼少期に父を亡くした三郎の息子たちは成人した後父の仇を討つ事を決意しました
仇討ちは駿河国富士野にて頼朝が行った富士の巻狩りの最中に決行され、工藤結経の陣屋に夜半に討入した兄弟は見事本懐をとげました
兄弟はその後、頼朝の尋問を受けましたが、最終的に弟の五郎時致/トキムネ(幼名箱王丸)(20歳)は討死、兄の十郎裕成/スケナリ(幼名一万丸)(22歳)も捉えられ即日処刑されました
ですがこの仇討ちは、武士社会において「仇討ちの模範」とされ、日本の武士道に深い影響を与えます
『曽我物語』や江戸時代の演劇などで語り継がれ、現在でも日本三大仇討ちの一つとして広く知られるようになりました
境内にはいざ仇討ちを決行する勇敢な兄弟の像がたっています
▲▽▲力試しの手玉石▲▽▲
河津三郎は相撲の名手もあり、相撲四十八手の一つ「河津掛け」の考案者ともされています
そんな三郎が日夜、相撲の鍛錬に用いたとされる「手玉石』かここ河津八幡神社に残されています
ちなみ手玉石とは「かるく手玉にとる」からきているみたいですよ
(。-∀-) ニヒ
その鍛錬の様子は、手玉石の前にある河津出身の影刻家後藤白童氏作の像『河津三郎力石』でうかがうことができます
なお、題字は昭和の名横網双葉山の書です
▲▽▲境内社の秋葉神社▲▽▲
本殿右奥に摂社として谷津秋葉神社が鎮座しています
案内によると江戸時代この辺りが大火に見舞われ実に村の1/3が焼失したことから、防火の神様秋葉権現を勧請(神様を招き入れる事)したようです
ちなみにこの神様は江戸の大火の際も江戸に呼ばれ、その後その地は "秋葉原" になっています
地域の記事
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- - 朝日新聞デジタル南禅寺の薬師如来坐像など重文に

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