静岡 田方郡函南町

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地域の新着口伝

  • 投稿者かかし
    (142件)
    投稿日:訪問日:
    ⛩天地神社|田方郡函南町 “天地神社”

    天地神社 てんちじんじゃ

    創建は延喜6年(906)丙寅6月17日

    天地大明神との名でしたが明治6年9月に天地神社と改称しました

    古代の神社リスト『延喜式神名帳』にも阿米津瀬気多知命神社としてリストアップされてます

    これは竹村茂雄と言う江戸時代後期の国学者が『伊豆国式社考』において、平井村の天地明神が阿米津瀬気多知命神社に比定されていることを附記していることより推測されているようです

    平安時代の初期に伊豆山大権現から神を移して祀ったとされる神社で、稲作の豊作を願い、天(天候)と地(土地、地方)の恵みに感謝し祈りを捧げる場所となっているようです

    ま、要するに相当古い神社っていう事ですね
    (;^_^A


    この神社のメインキャラはなんと言っても
    昭和27年4月1日県指定天然記念物『天地神社大楠』

    伊豆地方では最大の楠であるこの大樹は推定樹齢800年とも言われています

    スペックは下記
    根廻り 30m
    目通り 13.5m
    樹高 31.5m
    枝張り 東西約35m
        南北約25m

    【御祭神】
    天津彦火瓊瓊杵尊 アマツヒコニニギノミコト

    瓊瓊杵尊は稲作を広めた神で、天照大神の孫にあたります

    天照大神の命令で、この国を治めるために高天原/タカマノハラから日向国(現在の宮崎県)の高千穂峰に降り立った『天孫降臨神話』の主人公です

    富士山の女神である木花咲耶姫/コノハナサクヤヒメを妻に迎え、海幸彦・山幸彦を授かりました


    駐車場:あり
    御朱印:書置きあり 300円

  • 投稿者かかし
    (142件)
    投稿日:訪問日:
    ⛩雷電神社|田方郡函南町 “雷電神社”

    ★火の神と雷の神が守る、頼朝ゆかりの防災パワースポット!★

    【御祭神】
    火牟須比命 ホムスビノミコト
    火之迦具土神 ヒノカグツチノカミとも呼ばれ伊邪那美(イザナミ)が生んだ火の神ですがこの出産により火傷を負い伊邪那美は亡くなります。

    これに怒った伊邪那美の夫、伊邪那岐(イザナギ)によりカグツチは切り殺されてしまいますが、その血から様々な神様が生まれたとされています。

    火の神様なので防災のご利益があるそうです。


    雷電神社(らいでんじんじゃ)は、関東地方を中心に日本全国に点在する神社。一様に雷除けの神とされるようです。

    それでホムスビ様がいらっしゃるんですね。

    創建年月は定かではありませんが、伊豆山にある伊豆山権現(熱海市)の神を勧請し祀った神社です。
    その昔は雷電権現と呼ばれていたようですが、明治6年9月に現在の雷電神社と改称しました。

    神前に懸かっている金鞁鰐は源頼朝時代に奉納されたという伝記が残っています。

    鳥居は昭和48年3/14建立と比較的新しいもの

    奥に崩れた鳥居が放置されていたので立て直したんでしょうね

    摂社に左から琴平社・山神社・八坂神社・天神社が鎮座しています

  • 投稿者かかし
    (142件)
    投稿日:訪問日:
    ⛩雷電神社|田方郡函南町 “雷電神社”

    【御祭神】
    火牟須比命 ホムスビノミコト
    火之迦具土神 ヒノカグツチノカミとも呼ばれ伊邪那美(イザナミ)が生んだ火の神ですがこの出産により火傷を負い伊邪那美は亡くなります。

    これに怒った伊邪那美の夫、伊邪那岐(イザナギ)によりカグツチは切り殺されてしまいますが、その血から様々な神様が生まれたとされています。

    火の神様なので防災のご利益があるそうです。

    雷電神社(らいでんじんじゃ)は、関東地方を中心に日本全国に点在する神社。一様に雷除けの神とされるようです。

    それでホムスビ様がいらっしゃるんですね。

    創建年月は定かではありませんが、伊豆山にある伊豆山権現(熱海市)の神を勧請し祀った神社です。
    その昔は雷電権現と呼ばれていたようですが、明治6年9月に現在の雷電神社と改称しました。

    箱根山に向かう際まずこの神社に旅の安全を祈願するのが習わしだったようですが、その頃には大きな鳥居があったらしくそれが 大鳥居→大土肥 という現在の地名の由来になったと言います

    元は箱根方向に社は向いていましたが、旅人が馬や駕籠に乗ったまま通る時に祟りが多発したため、現在の西向きに直したと言われています。