熊野神社クマノジンジャ

挿絵

御祭神

[推定]
熊野権現クマノゴンゲン
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口伝 全1件

平均評価(1件中): 3
  • 投稿者かかし
    (86件)
    投稿日:訪問日:
    評価:3“熊野神社”

    ★750年の歴史にピリオド 廃社は今でもひっそりと★

    用宗には、かつて3社の神社(熊野・八幡・浅間)がありました

    2010年以降、2社が浅間神社に合祀され1社となります

    2社のうちのひとつであったここ熊野神社
    合祀をうけて寂しい事に廃社となってしいました

    こんなに立派な神社だったのに今は浅間神社の一境内社に
    御祭神様はどんな気持ちなんでしょうね
    (ノд・。) グスン

    創建は1270年とかなりの歴史があり、当時は今駒社と言う名前でしたが1872年熊野神社に改称されました

    1975年8月当時の氏子戸数は59戸で用宗5丁目の東部に住んでいる住民たちでして、その後は「おくまのさん」という愛称で親しまれていたと言います

    熊野神社の由来

    昔この辺に住んでいた信心深い女性「いの」

    1527年11月15日に海辺で潮を汲んでいると、蛇が梛の実(なぎのみ)を咥えて泳いできました

    「いの」は柄杓(ひしゃく)を差し出し、神様ならば入れるでしょうと声をかけると、蛇はすんなり柄杓に入ったといいます

    神様だと確信した彼女はこの蛇を祀るため新村左近衛門というお侍の土地に仮の宮を造りました

    その後1536年に伊藤新太郎の土地に移され、もっと立派な社殿を建て「熊野大権現」と称されるように


    そんな熊野大権現さんは馬嫌いだったのか神社前を馬で通ると落馬することが多発しました

    それで当時この神社前では馬乗りが禁止されていたようです

    【御祭神】
    ・伊邪那美命 (イザナミノミコト)

    ・速玉男命(ハヤタマノオノミコト)
    伊邪那岐命が黄泉の国から戻る際、伊邪那美命に対し吐いた唾から生まれた神
    なんちゅう生まれ方やねん!と突っ込みたくなりますが悪い縁を切り、良い方向へ導く神とされています

    ・事解男命 (コトサカノオノミコト)
    伊邪那岐命が黄泉の国から戻る際、伊邪那美命との別れの際に生まれた神
    この別れは"死と再生""過去と未来"を象徴し、悪い縁を切り、良い方向へ導く神とされています

    いずれ用宗町内会提供資料による

    駐車場:ありません
    御朱印:廃社なのでありません

鎮座地

〒421-0124 静岡県シズオカケン静岡市駿河区シズオカシ スルガク用宗城山町モチムネシロヤマチョウ6-11

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御作法