石田神社イシダジンジャ

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口伝 全1件

平均評価(1件中): 4
  • 投稿者かかし
    (142件)
    投稿日:訪問日:
    評価:4“石田神社”

    社前にある由来はこちら


    当神社は乳児の夜泣きする者ある時はこの社に来りて祈願し社殿に寝させて一声泣かして帰りその後夜泣き直りたる時は立願賽して、又乳子を連れ来りて土偶を神前に納むるを例とす。

    その霊験あるを以て古来よりこれを信ずる者を多く他府県人等来りて立願する者も少なくなからずと云う

    付記
    この項にある土偶とは「土でくのぼう」で玩具図譜にも悪王神社の首人形と機織村の洞慶院の「わかんじゃけ」とが載って居る。

    其様に静岡近在に昔より有名であるが大戦後、土偶則ち首人形等商う店もなくなりし為に今は奉納する者が絶えた次第である。又首人形の代わりに絵馬を奉納する人もあったが、これも今は少なくなった。

    次に昔より悪王神社或いは悪王神と言いますが、どうしてこのような名前にを付けたかと言うことで或漢学者の考証によりますと、亜皇の誤りではないかと云う。

    悪の字について亜の下の心と云う字と皇の上の白を行書で書いて白を心と書き違えたのを後に誤りに傳(つた)えられたのではないかという事です。

    亜皇ならば亜は(つぐ)、皇は皇統(こうとう)とか(すめら)とか読む。

    スメラにツグ、則ち天照大神に継ぐで則ち御弟須佐之男命(スサノオノミコト)ということになる。
    祭神が須佐之男命であるから亜皇神社或いは亜皇神と言う字もこれでなければならぬ筈と言う説である。

    また一説には源平時代に猛(もう)い武将等が自ら名前を悪源太義平とか悪七兵衛景清等と言った様に最初から猛い祭神、須佐之男命であるので悪王神社と言ったのだろうとの説もある。

    どちらにしましても今は明治八年二月より石田神社と改稱(かいしょう=改名)された。

鎮座地

〒422-8042 静岡県シズオカケン静岡市駿河区シズオカシ スルガク石田イシダ11

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