八幡神社

御祭神※
口伝 全1件
- 投稿日:訪問日:評価:4.5“八幡神社”
★父の仇はわたしたちで!— 弓道女子、蛇を討つ★
昔、岩科村の南にあった大池には大蛇が棲み、たびたび樵(きこり)を襲っていました
当時甲州に弓の名手と呼ばれる猟師がいて、仁平元年(1151)岩科の山口を訪れた際に村人たちから大蛇退治を依頼されこれを快諾しました
猟師は山へと向かいましたが、いつまで経っても戻らず、村人たちが捜索すると弓矢と血痕だけがその場に
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
猟師には二人の娘がいて、父の仇を討つため弓の修練に励み、数年後、小杉原に現れた大蛇を姉妹で討ち取りました
大蛇は断崖から転落して命を落とし、村人はその骨を埋葬し「蛇骨山大蛇院」(後の大地院)を建立しました
ちなみに大蛇の骨は魔除けになると噂がたち大部分は持ち去られてしまったと言います
その後姉は大蛇退治の喜びを知らせるため国許の甲州へと帰りましたが、美人であった妹の方は里人に引きとめられこの土地に残りました
美人の妹と言えば富士山の神、此花昨夜姫と同じ匂いがしますね
どこかで話が混合したのでしょうか・・(。-∀-) ニヒ
妹は父の霊を慰める為八幡神社に願掛けの礼として小杉の木を植えます
その事から村の若者たちは妹を小杉小杉ともてはやしました
それからというもの山野に植林の仕事に通う若い衆たちは、「小杉小杉」と口ずさみながら植林したといい、やがて周辺一帯の山肌は小杉の原となり、それがいつか「小杉原」の地名へと変わっていったと伝えてられています
また、小杉原の八幡神社は慶長14年(1609年)建立とされ、貴重な神鏡が社宝として伝えられています
江戸時代には植えられた小杉が成長し、依田財閥がその木材で千石船を建造し村の繁栄に貢献したと伝わっています
なんて話があったので杉を探しましたがどれがその木か分かりませんでしたね
(;^_^A
【御祭神】
誉田別命 ホンダワケノミコト
【創建】
はっきりとはしていませんが慶長14年(1609)の棟札があり300有余年前と推測されています
藤原時代の水皿
双雀鏡一、鎌倉時代の菊花双蝶鏡一、
室町時代の菊花双雀鏡一、
江戸時代の蓬莱鏡天下一
などの神鏡が社宝として伝わっているようです
なぜか龍のお賽銭箱があります
3種類のお祈りが出来るようなので蛇にお父さんを倒された経験がある方は是非ご祈祷を!
鎮座地※
〒410-3602