名称・別称

大学山ダイガクザン久延寺キュウエンジ

  • 小夜サヨ中山ナカヤマ 久延寺キュウエンジ
挿絵

夜泣石と弘法大師にまつわる伝説があるお寺。

御本尊

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口伝 全1件

平均評価(1件中): 4.5
  • 投稿者かかし
    (90件)
    投稿日:訪問日:
    評価:4.5“大学山 久延寺”

    このお寺の境内にはこの付近で語られる『夜泣き石』が安置されています。
    実はこの夜泣き石、国道1号沿いのお茶屋小泉屋の裏にも安置されています。

    強盗に襲われた妊婦が死ぬ直前子供を産み落とし、そばにあった丸石にのり移って夜な夜な泣いたことからその石は『夜泣き石』と呼ばれることになりました

    この夜泣き石は元々東海道にあったのですが明治天皇の東京行幸の際、畏れ多いという理由で久延寺へ移設されました。

    久延寺はこの石を観光の目玉として展示。
    明治14年(1881)には東京浅草で開催された「勧業博覧会」へ出品しましたが、その際別に張りぼての石の中に子供を入れて泣き声を出させる見せ物が大繁盛しており、本物は“泣かない”とのことで全く人気が出ませんでした。

    興行として大失敗した為そのまま静岡に返されることになりますが、焼津まで到着した段階で資金が枯渇。焼津和田港にて雨ざらしになりました。

    このままではいけないと茶屋『小泉屋』のご主人が買い取り現在の小泉屋の裏に安置される事になります。
    さらに昭和11年、今度は小泉屋が東京・銀座の松坂屋で開かれた静岡物産展に出展、こちらは大評判になったようです。

    それを見たからは分かりませんが久延寺は所有権を主張し小泉屋と裁判まで起こします。が、結果は当然敗訴。

    そこで元々夜泣き石があった場所にて似たような石を用意。夜泣き石の代わりとして境内に安置したようです。

    それで夜泣き石は2つ存在するわけですね(正確には一つは夜泣き石ではないですが)
    ややこしいです(;^_^A

所在地

〒436-0002 静岡県シズオカケン掛川市カケガワシ佐夜鹿サヨシカ291

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