秋田 能代市

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長慶寺- 能代市萩の台2-19

日吉神社- 能代市御指南町3-24

八幡神社- 能代市柳町13-8

七座神社- 能代市二ツ井町小繋天神道上67
海蔵寺- 能代市鶴形239
西光寺- 能代市鳳凰岱75-1
善光寺- 能代市豊祥岱1-50

機織神明社- 能代市機織轌ノ目1
愛宕神社- 能代市二ツ井町飛根富根190
本澄寺- 能代市萩の台2-11
梅林寺- 能代市二ツ井町字上山崎38-40
白龍寺- 能代市萩の台3-17
宝円山西福寺 - 能代市萩の台3-4
高岩神社- 能代市二ツ井町荷上場五輪台23

兜神社- 能代市二ツ井町切石山根8
檜山神社- 能代市檜山越王下21
清德寺- 能代市二ツ井町字比井野80
楞厳院- 能代市檜山檜山町7
願勝寺- 能代市萩の台5-19
敬正寺- 能代市萩の台5-12
湯殿山龍泉寺 - 能代市清助町7-23
延命寺- 能代市竹生笹ノ台240-6
熊野神社- 能代市河戸川新屋布116

赤沼稲荷神社- 能代市赤沼15-2
倫勝寺- 能代市仁井田白山13
稲荷神社- 能代市向能代上野152
玉鳳院- 能代市常盤町辺162
長徳寺- 能代市二ツ井町飛根前田4
稲荷神社- 能代市田子向89
銀杏山神社- 能代市二ツ井町仁鮒坊中146
地域の新着口伝
投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。
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