秋田 能代市

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釣潟神社- 能代市鶴形226
徳昌寺- 能代市向能代上野153
常盤神社- 能代市天内白岩下60
法輪寺- 能代市落合124-4
山神社- 能代市出戸本町2-29
岩関神社- 能代市二ツ井町切石山根72
多宝寺- 能代市悪戸115-21
開道神社- 能代市扇田道地11
新山神社- 能代市新山前97
報恩院- 能代市能代町赤沼2-15
脇廼澤稲荷神社- 能代市柏子所58-4
浅内神社- 能代市浅内上ノ山7
相染神社- 能代市河戸川相染森62
浄明寺- 能代市萩の台5-2
神明社- 能代市鰄渕鰄渕61
菅原神社- 能代市竹生神田44
杉沢熊野神社- 能代市磐杉沢23
高岳寺- 能代市二ツ井町麻生麻生48
大窪山光久寺 - 能代市萩の台1-23
多宝院- 能代市檜山小間木52
浄明寺- 能代市檜山檜山町40
八幡神社- 能代市母体上母体家ノ下14
安宗寺- 能代市河戸川後田94

鎧神社- 能代市二ツ井町槻ノ木138
霧山天神宮- 能代市檜山霧山下3
総在寺- 能代市二ツ井町太田面5-10
感応寺- 能代市萩の台1-2
浄徳寺- 能代市萩の台1-13

神明社- 能代市扇田扇田10
神明社- 能代市大塚113
地域の新着口伝
投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。
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