秋田 能代市

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福田神社- 能代市浅内頭無上100-1
八幡神社- 能代市柏子所112
梅内神社- 能代市二ツ井町梅内筒ヶ沢103
岩清水神社- 能代市浅内大坪101-6
和光教会- 能代市出戸121
田代神社- 能代市二ツ井町田代堂ノ下182
熊野神社- 能代市坂形堂ノ後3
善徳寺- 能代市二ツ井町梅内前田168
相駒神社- 能代市常盤長谷堂49-5
熊野神社- 能代市二ツ井町種熊野堂前93
磯前神社- 能代市河戸川二ノ沢171
八幡神社- 能代市檜山立山下32
八幡神社- 能代市大森立山下32
成合神社- 能代市浅内沢辺104
山神社- 能代市二ツ井町小掛払川59
八幡神社- 能代市比八田八幡下55
奥羽大谷会館- 能代市清助町3-67
神明社- 能代市轟221
福壽院- 能代市二ツ井町種熊野堂前229
德善寺- 能代市萩の台5-9
円勝寺- 能代市萩の台3-11
景林神社- 能代市清助町9
地域の新着口伝
投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。
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