秋田 神道 祭神

天照大御神
『伊邪那岐神』によって生み出され、『月読命』の兄神であり『須佐之男命』の兄神にあたる。『天照大御神』は太陽の神とされ、兄弟合わせて『三柱の貴子』とされている。
皇室の祖神(皇祖神)の一柱とも言われ、日本民族の総氏神と言われ、信仰対象・御祭神としては『伊勢神宮』が特に有名である。
御祀りをしている施設一覧※
藤崎神社
- 祭神:天照大御神
- 由利本荘市藤崎大町9-2
八幡神社
- 祭神:天照大御神
- 横手市雄物川町谷地新田八幡野11
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 潟上市飯田川飯塚中山17
奥宮神社
- 祭神:天照皇大神
- 湯沢市皆瀬川向字朴板16
浮嶋神社
- 祭神:天照大御神
- 大仙市刈和野上ノ台221
両社山神社
- 祭神:天照皇大神
- 鹿角市尾去沢軽井沢43-8
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 秋田市下北手桜宮ヶ沢60
杉沢熊野神社
- 祭神:天照大御神
- 能代市磐杉沢23
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 由利本荘市大内三川大沢45
八幡神社
- 祭神:天照皇大御神
- 南秋田郡五城目町野田合野109
八坂神社
- 祭神:天照皇大神
- 仙北市西木町西明寺堂村162
諏訪神社
- 祭神:天照大神
- にかほ市象潟町関三平田57
神明社
- 祭神:天照大神
- 北秋田市坊沢伊勢堂68
八幡神社
- 祭神:天照大神
- 大館市沼館稲荷下55-1.58
北浦神社
- 祭神:天照皇大神
- 男鹿市北浦北浦山王林1
釣潟神社
- 祭神:天照大神
- 能代市鶴形226
八幡神社
- 祭神:天照大御神
- 横手市平鹿町醍醐宮西118
日月神社
- 祭神:天照皇大神
- 仙北市田沢湖卒田上清水52
古四王神社
- 祭神:天照皇大御神
- 横手市十文字町植田宮ノ前6
磯前神社
- 祭神:天照大御神
- 雄勝郡羽後町新町町尻6
八王子神社
- 祭神:天照皇大神
- にかほ市象潟町大須郷坂ノ下14
八幡神社
- 祭神:天照皇大神
- 男鹿市脇本百川夏張81
熊野神社
- 祭神:天照皇大神
- 湯沢市上関堂ノ前35
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 大仙市大曲戸巻町8-25
日吉神社
- 祭神:天照大神
- 大仙市内小友宮北6
熊野神社
- 祭神:天照皇大神
- 由利本荘市西目町西目根子ノ沢25
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 湯沢市下院内館山4
八坂神社
- 祭神:天照大神
- 横手市雄物川町薄井薄井72
浅見内神明社
- 祭神:天照皇大神
- 南秋田郡五城目町内川浅見内堂ノ下104
目長崎神社
- 祭神:天照皇大神
- 秋田市太平目長崎本町72
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。