静岡 藤枝市

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地域の祭り・行事一覧(2025年度)

地域の新着口伝

  • 投稿者かかし
    (142件)
    投稿日:訪問日:
    ⛩若一王子神社|藤枝市 “若一王子神社”

    ★藤枝の 名前の由来は ここにあり★

    730年に創立された延喜式(古い神社リスト)に記されている神社

    にゃくいちおうじじんじゃ と読みます


    江戸時代中期に書かれた「若一王子大権現社伝記」

    この中で後三年の役(1083~1087)で八幡太郎義家(源義家)が奥州へ下る時、ここ若一王子神社に立ち寄ったと記載があります


    その時、裏山の古い松の木に藤の蔓が絡まり、藤の花が咲き誇っているのを見て

    『松に花 咲く藤枝の 一王子 宮居ゆたかに 幾千代を経ん』

    と和歌を奉納したようです

    これが藤枝の地名の由来の一説とされています

    さらにこの松は『千歳の松』とも呼ばれたようで、鍛冶町・吹屋町を千歳区と呼ぶ由来でもあるのだとか


    名の由来多き松なんですね
    ( ̄ー ̄)ニヤリ


    そんな松ですが残念ながら明治7、8年頃の台風によりすでに倒れてしまっています


    また神社裏山の境内地の照葉樹林の森(社叢)は暖地性植物が自生する北限として県の天然記念物に指定されています

    社叢とは社(やしろ)の周りの叢(くさむら)という意味

    400本近くの大小の杉や桧などの立木がうっそうと茂る草むらだそうですよ
    (。-∀-) ニヒ

    そんな裏山にも境内社がありますのでお見逃しなく

    尚、ハイキングコース入り口にもなっていますので、そのままハイキングも出来てしまいます!


    駐車場:あり
    御朱印:社務所はありますが見当たりませんでした

  • 投稿者かかし
    (142件)
    投稿日:訪問日:
    ⛩飽波神社|藤枝市 “飽波神社”

    社伝によると、飽波神杜は仁徳6年(318)、飽波郷(志太平野一円)の鎮護の神として祀られたようです

    なんと1700年もの歴史を持つ社
    当然志太平野最古の社となります

    かつて山裾の小石の周りから湧き出た清水が諸病効いたとか、瀬戸川の水害から人々を護ってくれたとかの武勇伝より湧波/ワクナミ神社、川関/カワセキ神社とも呼ばれていました

    今でも境内の土を持ち帰ると洪水から身を守れるとの伝承があるようです


    3年に一度、10月の第1土日曜日に開かれる藤枝大祭は「日本一の長唄・地踊り」として十四地区すべての屋台(山車)が地踊りを競い合う貴重なお祭りだそうです

    さらに飽波神杜の神域は静岡県選定の「ふるさとの森(お宮の森・お寺の森)」百選の1つとして選定を受けており、貴重さ倍増している神社となっております


    藤枝ゆえにサッカー関連のグッズ多し

    御朱印・おみくじ・お守りにサッカーデザインが施されているもがあります

    上達や必勝祈願等、藤枝のサッカー少年や藤枝に遠征に来る県外チームにも人気

    流石サッカーの街藤枝ですね
    ( ̄ー ̄)ニヤリ


    【御祭神】
    少名毘古那 スクナビコノミコト

    大国主と共にこの日本を作ったとされる小柄の神様
    その小ささゆえに一寸法師もモデルとも言われているようです

    【相殿】
    瀬織津姫
    蛭子命
    天忍穂耳命

    【境内社】
    金山神社
    七ツ森神社

    境内右手鳥居の奥にある境内社は、左側に七ツ森神社で以下の神社を合せ祀ります

    熊野社・諏訪社・泉社・進雄社・
    藤森社・作神社・七ツ森社・秋葉社

    右側には金山神社(金山彦命)となっています

  • 投稿者かかし
    (142件)
    投稿日:訪問日:
    ⛩六社神社|藤枝市 “六社神社”

    ★牛の呪い、解禁なるか!? 何百年も恐れられた神様の怒り、勇気ある農民のおかげでようやく解除!?★


    昔、牛は農業に欠かせない存在であり、また神様のお使いとしても大切にされておりました

    しかしある時、ここ六社神社の神様が大切にされていた牛が、何を思ったのか急に暴れだし、神様の目を角で突いてしまいました

    これにより神様は激怒

    この土地から牛を追放なさいました

    それ以来、村人は神様の怒りを恐れこの地で牛を飼うことを避けていたようです


    時代が進み、農業の発展とともに労働力でる牛がどうしても必要不可欠となります

    ですが神の怒りが怖く村人たちはなかなか踏み切れませんでした

    そんな中勇気のある一人の村人が立ち上がります

    彼の名は小柳津重吉

    神様のご加護を信じ、深くお祈りを捧げた後、思い切って牛を飼い始めるのでした

    まさに人柱とも言える行為

    ですがその後何事も起こらず、拍子抜けした・・いや安心した村人たちも次第に牛を飼うようになったと言います

    しかし、時代の流れとともに機械化が進み、現在では牛の姿は見られなくなってしまいました

    小柳津さんも武勇伝もここまでのようですね・・


    実は六社神社の神様の怒りは牛だけではないようでした

    朝比奈川には鮎が多く生息しておりますが、山女魚は住みつかないと言われております

    なんとこれも神様の怒りが関係していると伝えられておりますが、その理由は明らかになっておりません

    「山女魚」という名前が「山の女の魚」と書くことから、女性に関係があるのではないかという説もあるようでして・・
    (;^_^A

    その点こそ触れると神の怒りの矛先がこちらに来るかもしれませんね


    【御祭神】
    そんな怒りの沸点が低い神様は以下の6柱

    大巳貴命 オオナムチ
    少彦名命 スクナビコ
    迦具土命 カグツチ
    月読命 ツクヨミ
    須佐之男命 スサノオ
    猿田彦命 サルタヒコ

    皆古事記において主役級に活躍するお歴々

    さて女性に狂った神様はどの方でしょう?
    ( ̄ー ̄)ニヤリ



    さてこの神社は『龍』に所縁のある神社

    本殿の両側の欄間には、「阿吽の飛龍」が彫られていますし

    1715年の飢饉の時には、藤原正国氏が「下り龍」の絵馬を奉納しています


    最たるものが『朝比奈大龍勢花火』

    この花火は、全長20mもある巨大ロケット花火で300m上空に打