三嶋神社ミシマジンジャ

挿絵

御祭神

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    三嶋神社(浜松市中区和合町)
    投稿者ruephas1

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  • 投稿者ruephas1
    (8件)
    投稿日:訪問日:
    評価:4“三嶋神社 御由緒の栞”

    ◆御祭神 大山祇神
    ◆建立 大永年間(1521〜1528)の建立と云われています。
    ◆鎮座地 浜松市中区和合町馬船298−12

     当 三嶋神社は 大永年間 伊豆の三嶋大明神(現在の三嶋大社)より 御分霊を勧請してお祀りしたのが始まりと言われています。
     神社の棟木には
    寛永15年(1636)亨保9年(1724)文化5年(1808)天保9年(1838)に改築されたと思われる 4枚の棟札が掲げられてあると云われ、歴史を偲ぶことが出来ます。
     戦国の世
    元亀3年(1572)年徳川家康軍がこの馬船の地にも陣を構えたとも云われ 境内水神社の由来でお祀り致しているものです。(別紙・水神様の由来でん文書)
    又甲斐より来た 武田の軍将・馬場美濃守から宿陣の折 青銅、弐拾貫文の御寄進が有りしと 口碑が伝えられています。
     三島神社は
    歴代藩主より領内、山の神として崇敬篤く 壱石目の御寄進を受けていたと伝えられています。

    ■馬場美濃守 武田家に仕えた四名臣の一人と云われ70を数える戦では傷一つ負わず「不死身の美濃守」とも呼ばれたが長篠の戦いで戦死 事後「信長公記には 馬場美濃守・手前の働き比類なし」と云われているもので愛知県新城市内の国道近くに その墓が祀られて有ります。
    ■青銅・弐拾貫文 当時のお金の単位は(両・分・文)で有ったが 貴重な物品(青銅・お米等)でも現金と同様取引されていた 由来では青銅で寄進され、その重さは弐拾貫文(75㎏)に相当する。
    ■壱石目は米一石(150㎏)に相当 現在の価値との比較は難しい 当時としては大変な栄誉となるものです。
    ■平成21年秋 境内清掃中古銭【寛永通宝】を発見 江戸時代地域住民の「報賽銭・おさいせん」と思われ三嶋神社歴史の考証ともなります。尚この古銭は当宮社殿内に 掲額してあるものです。

    本日は 三嶋神社に御参拝戴き有難う御座いました。
    皆々様へ 益々の御繁栄と御健康の御神徳が有ることを祈ります。
    平成23年は 三嶋神社 鳥居建立 百周年の記念年となりました。

鎮座地

〒433-8125 静岡県シズオカケン浜松市中央区ハママツシ チュウオウク和合町ワゴウチョウ298-12

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