秋田 神道 祭神

品陀和気命(応神天皇)
『品陀和気命』は、第15代天皇『応神天皇』の諱(いみな)。父『仲哀天皇』、母『神功皇后』の間に生まれた第四皇子である。
御祀りをしている施設一覧※
八幡神社
- 祭神:応神天皇
- 秋田市雄和田草川本田151-1
神明社
- 祭神:応神天皇
- 大館市比内町扇田本道端44
楢館神社
- 祭神:誉田別神
- 仙北市角館町下延段添6
八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 南秋田郡八郎潟町真坂石塚175-2
神明社
- 祭神:応神天皇
- 山本郡藤里町粕毛家後14
八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 鹿角郡小坂町荒谷荒川103
神明社
- 祭神:誉田別命
- 山本郡八峰町八森岩館64
川上神社
- 祭神:誉田別命
- 鹿角郡小坂町小坂岱15-16
神供山神社
- 祭神:応神天皇
- 秋田市河辺諸井山根147
八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 湯沢市皆瀬川向字仏師ヶ沢3
八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 鹿角市花輪八幡館33
八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 山本郡三種町森岳岩瀬32
三上神社
- 祭神:品牟陀別命
- 横手市十文字町睦合乱場183
神明社
- 祭神:応神天皇
- 北秋田市七日市伊勢堂岱2
羽根山神社
- 祭神:応神天皇
- 北秋田市羽根山南家ノ後100
白山神社
- 祭神:品陀和気命
- 由利本荘市内越家ノ前326
八幡神社
- 祭神:保牟田別命
- 横手市雄物川町深井深井105
八幡神社
- 祭神:誉田別神
- 能代市柏子所112
八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 男鹿市船川港金川金川76
甲神社
- 祭神:応神天皇
- 仙北市西木町門屋入江89・90・91
八幡神社
- 祭神:品牟陀別命
- 横手市十文字町睦合八幡前30・31
下吉田神社
- 祭神:応神天皇
- 横手市平鹿町下吉田下村110
八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 横手市十文字町佐賀会下沖田147
御嶽神社
- 祭神:応神天皇
- 雄勝郡羽後町西馬音内堀回滝ノ沢2
八幡神社
- 祭神:誉田別皇大神
- 南秋田郡五城目町大川西野八幡前80
八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 鹿角市花輪小平八幡平22-1
神明社
- 祭神:誉田別命
- 鹿角市十和田末広向平106
御嶽神社
- 祭神:品多別命
- 雄勝郡羽後町床舞門前222
保量神社
- 祭神:誉田別命
- 山本郡三種町外岡羽立東66
八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 南秋田郡五城目町富津内下山内組田103
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。