秋田 神道 祭神

品陀和気命(応神天皇)
『品陀和気命』は、第15代天皇『応神天皇』の諱(いみな)。父『仲哀天皇』、母『神功皇后』の間に生まれた第四皇子である。
御祀りをしている施設一覧※
横山神社
- 祭神:応神天皇
- 南秋田郡五城目町内川湯ノ又日ノ沢14
若宮八幡神社
- 祭神:応神天皇
- 秋田市太平中関八幡野8
薬師神社
- 祭神:誉田別神
- 大仙市蛭川熊ノ山7
雪沢神社
- 祭神:誉田別命
- 大館市雪沢水沢56.57
大日神社
- 祭神:応神天皇
- 大館市比内町独鈷大日堂前8
馬川神社
- 祭神:品多和気命
- 南秋田郡五城目町高崎中泉田16
常盤神社
- 祭神:応神天皇
- 能代市天内白岩下60
岩関神社
- 祭神:応神天皇
- 能代市二ツ井町切石山根72
八幡神社
- 祭神:品牟多別命
- 湯沢市山田下六日町56
八幡神社
- 祭神:誉田和気命
- 雄勝郡羽後町貝沢野々宮159
兜台神社
- 祭神:誉田和気命
- 横手市大雄宮小路45
浅内神社
- 祭神:誉田別命
- 能代市浅内上ノ山7
金澤八幡宮
- 祭神:誉田別尊
- 横手市金沢安本館4
眞山神社
- 祭神:応神天皇
- 秋田市上新城五十丁大木前6
八幡神社
- 祭神:誉田別大神
- 横手市雄物川町谷地新田八幡野11
岩井川神社
- 祭神:応神天皇
- 雄勝郡東成瀬村岩井川荒沢5
大物忌神社
- 祭神:誉田別命
- 由利本荘市東由利舘合舘野4
杉沢熊野神社
- 祭神:応神天皇
- 能代市磐杉沢23
出羽神社
- 祭神:誉田別命
- 鹿角郡小坂町小坂上小坂21
八坂神社
- 祭神:誉田別命
- 仙北市西木町西明寺堂村162
諏訪神社
- 祭神:誉田別命
- にかほ市象潟町関三平田57
八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 大館市沼館稲荷下55-1.58
八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 横手市平鹿町醍醐宮西118
古四王神社
- 祭神:品牟陀分命
- 横手市十文字町植田宮ノ前6
山神社
- 祭神:応神天皇
- 雄勝郡東成瀬村椿川五里台道上21
八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 男鹿市脇本百川夏張81
七高山神社
- 祭神:誉田別命
- 雄勝郡羽後町新町岩見沢21
田ノ沢稲荷神社
- 祭神:応神天皇
- 大館市岩瀬田ノ沢志賀渡67
八幡神社
- 祭神:応神天皇
- 仙北市角館町雲然下町屋115
八幡神社
- 祭神:応神天皇
- 秋田市豊岩小山神田41
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。