秋田 神道 祭神

豊宇気毘売神
食物の神とされ、現在では『保食神』等と共に、『稲荷神』、『宇迦之御魂神』と同一視されるようになった。
御祀りをしている施設一覧※
神明社
- 祭神:豊受姫神
- 大館市早口上屋敷142
八幡神社
- 祭神:豊受姫命
- 南秋田郡五城目町富津内中津又六郎沢79
神明社
- 祭神:豊受姫大神
- 南秋田郡井川町北川尻海老沢11
戸波神社
- 祭神:豊受媛神
- 横手市増田町戸波堂ケ沢6
稲荷神社
- 祭神:豊受命
- 大仙市大沢郷寺白坂館39
神明社
- 祭神:豊受姫神
- 秋田市河辺高岡岩ノ沢6
八幡神社
- 祭神:豊受姫命
- 横手市十文字町佐賀会新関35
八幡神社
- 祭神:豊受比売命
- 男鹿市男鹿中滝川杉下22
別雷神社
- 祭神:豊受姫命
- 大仙市豊川豊川囲ノ内18
神明社
- 祭神:豊受姫大神
- にかほ市象潟町横岡大森13
福田神社
- 祭神:豊受姫神
- 能代市浅内頭無上100-1
神明社
- 祭神:豊受比売大神
- 大仙市飯田家の前107
田代神社
- 祭神:豊受大神
- 能代市二ツ井町田代堂ノ下182
神明社
- 祭神:豊受比売乃神
- 山本郡三種町豊岡金田田倉館76
愛宕神社
- 祭神:豊受姫神
- 横手市十文字町鼎荒田目17
城神山稲荷神社
- 祭神:豊受姫大神
- 雄勝郡羽後町足田城神巡り62
神明社
- 祭神:豊受大神
- 大仙市藤木乙新藤木20-1
神明社
- 祭神:豊受姫神
- 大館市赤石屋布13
神明社
- 祭神:豊受姫大神
- 大館市岩瀬赤川50
八幡神社
- 祭神:豊受姫神
- 湯沢市川連町八甲山9
白山神社
- 祭神:豊受姫大神
- 大仙市土川宮林1
白山神社
- 祭神:天豊受比売大神
- 大仙市土川小杉山字観音林2-2
八幡神社
- 祭神:豊受姫命
- 北秋田郡上小阿仁村五反沢上ノ山129
八幡神社
- 祭神:豊受媛神
- 雄勝郡羽後町下仙道下草井沢134
筑紫森神社
- 祭神:豊受姫神
- 秋田市河辺三内柳台31.32.33
直根神社
- 祭神:豊受比売命
- 由利本荘市鳥海町中直根前ノ沢56
山崎神社
- 祭神:豊受姫大神
- 北秋田郡上小阿仁村仏社杉ノ下45-2
八幡神社
- 祭神:豊受大神
- 仙北市田沢湖岡崎大屋敷81
薬師神社
- 祭神:豊受姫命
- 横手市塚堀般若寺1
太田八幡宮
- 祭神:豊受姫大神
- 大仙市太田町小神成桜木40
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。