福石神社

御祭神※
- [主神]
大己貴命 猿田彦命 磐長姫命
- [配祀]
宇賀神
口伝 全1件
投稿日:訪問日:評価:3.5“福石神社”★親の願いを託した捨て子の儀式『神の申し子』★
正式には福石子育神社
風習『神の申し子』
子供が早死にした家は次に産まれた子を丈夫に育てたいとして一旦この神社前に捨てにいきました
捨てられた子は神社に拾われ元の家に「くれてやる」と言う形で戻されたそうです
この茶番は大正時代までされていたようですが、子供を亡くした親にとっては次こそはと藁をもつかむ気持ちだったんでしょうね
【御祭神】
大己貴命/オオナムチノミコト
大黒様とも言われる大国主オオクニヌシの別名
地上を統べる神として出雲大社に祀られている神様です
猿田彦命/サルタヒコノミコト
天狗のモデルともされている大型で鼻の長い神様
日本神話において風貌がはっきり描かれているのはこの神様くらいだとされているそうです
天の神様を地上へ道案内したことから導きの神として崇められています
磐長姫命/イワナガヒメ
富士山の女神、木花之佐久夜毘売コノハナサクヤヒメの姉神
サクヤ姫は絶世の美女とされていますが、イワナガ姫は超絶不細工とされ、その容姿から嫁に出されても即効返却されたと言う声を掛けづらい経験を持っておられます
一方で長寿の神様でもあることから『神の申し子』の儀式はこの女神に由来しているとも言います
【御由緒】
江戸後期の『駿河記』で「福石明神社 公文家の持なり」と記されていることからも、元は浅間大社の社人だった公文富士氏が、その屋敷神として奉斎したものが起源とされており、社号は境内にある溶岩が由来と考えられています
中世、近隣に大宮城という城があった頃には、社号のめでたさや大己貴命が祀られていることから月に6回の定期市である六斎市の守り神として敬われました
文化10年(1813)聖護院宮盈仁法親王が「福石子育市大明神」を揮毫(きごう:筆で文字を書くこと)しており、文政3年(1820)将軍家の安産祈祷を行っています
社殿は昭和34年台風により倒壊
翌年に本殿を、39年に拝殿が再建されました
その後平成22年に拝殿を再造営し、区民館を兼ねるようになりました
また今はありませんが50年ほど前に境内の大イチョウの木からマリシテンと呼ばれる40cmほどの木像が出てきました
目をむき憤怒の形相凄まじいその神様は護身勝利のご利益があるとされ相撲の巡回がくると力士は必ずここに参拝にきたそうです
祭り・行事一覧(2025年度)※
| 時 期 | 内 容 |
|---|---|
| 7月31日(木) | 宵宮祭/輪くぐりさん |
| 時 期 | 内 容 |
|---|---|
| 8月1日(金) | 例祭 |
鎮座地※
〒418-0064



















