秋田 神道 祭神

品陀和気命(応神天皇)
『品陀和気命』は、第15代天皇『応神天皇』の諱(いみな)。父『仲哀天皇』、母『神功皇后』の間に生まれた第四皇子である。
御祀りをしている施設一覧※
鹿渡神社
- 祭神:誉田別皇命
- 山本郡三種町鹿渡腰巡35-1
浅間神社
- 祭神:応神天皇
- 山本郡藤里町藤琴馬坂3
沢目神社
- 祭神:誉田別命
- 山本郡八峰町峰浜水沢寺ノ後54
八幡神社
- 祭神:応神天皇
- 北秋田市脇神地切66
八幡神社
- 祭神:誉田別大神
- 大仙市大曲丸の内町4-6
両津八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 秋田市寺内大畑2
鹿嶋神社
- 祭神:応神天皇
- 秋田市雄和椿川袖の沢73
高梨神社
- 祭神:応神天皇
- 大仙市払田真山35
稲荷神社
- 祭神:誉多別大神
- 横手市赤坂赤坂103
新城神社
- 祭神:応神天皇
- 秋田市下新城岩城下向172
本宮神社
- 祭神:誉田別命
- 鹿角市十和田大湯宮ノ平82
五里合神社
- 祭神:応神天皇
- 男鹿市五里合中石上今沢荒野30-2
大国主神社
- 祭神:応神天皇
- 大館市花岡町繋沢557
森吉神社 奥宮
- 祭神:応神天皇
- 北秋田市森吉
二古神明社
- 祭神:応神天皇
- 由利本荘市岩城二古川尻66
二井田八幡神社
- 祭神:誉田別大神
- 大館市二井田贄ノ里4
大野八幡神社
- 祭神:応神天皇
- 秋田市仁井田大野道下260
八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 横手市雄物川町沼館沼館25
加美現威神社
- 祭神:誉田別命
- 仙北市西木町上荒井新屋148
草城神社
- 祭神:誉田別命
- 鹿角市十和田草木館ノ下52
浦田神社
- 祭神:応神天皇
- 北秋田市浦田浦田4
久斯神社
- 祭神:応神天皇
- にかほ市樋目野堂ノ本58
八幡神社
- 祭神:応神天皇
- 秋田市下浜羽川家ノ腰209
八幡神社
- 祭神:大鞆別命
- 鹿角市尾去沢西ノ沢20
銀杏山神社
- 祭神:誉田別命
- 能代市二ツ井町仁鮒坊中146
一日市神社
- 祭神:誉田別尊
- 南秋田郡八郎潟町一日市318
木戸石八幡神社
- 祭神:本牟田和気命
- 北秋田市木戸石林岱157-2
八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 大館市八幡1
八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 南秋田郡井川町八田大倉八幡1
神明社
- 祭神:誉田別命
- 鹿角市十和田大湯大湯189-1
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。