徳島 仏教 宗派・教義

高野山真言宗
- 宗派本尊
大日如来
- 総本山
高野山 金剛峯寺
多聞寺- 阿南市福井町宮毛100
持福院- 那賀郡那賀町中山から杉谷口33
正覚寺- 鳴門市里浦町里浦花面21
幽玄庵- 勝浦郡勝浦町三溪名田95
大聖寺- 那賀郡那賀町朝生川西431
真光寺- 阿南市那賀川町西原471
瑞運寺- 板野郡上板町引野寺ノ西北3-1
法輪寺- 那賀郡那賀町雄寺谷86
佛石庵- 勝浦郡勝浦町三溪倉瀬169
東林院- 鳴門市大麻町大谷山田59
真福寺- 海部郡海陽町野江42
向栄山正光寺 - 那賀郡那賀町平野妙見前37
常光寺- 阿南市山口町久延51
玉泉寺- 海部郡海陽町若松2
西法寺- 海部郡海陽町多良片山59
延命山瀧寺 - 那賀郡那賀町鮎川163-1
薬師坊- 小松島市田浦町金石16
常慶院- 徳島市眉山町大滝山7
誓願寺- 海部郡海陽町浅川14
灌頂寺- 阿波市阿波町土成美縁219
地蔵寺- 海部郡海陽町芝居内60-1
慈眼寺- 徳島市国府町延命598
成願寺- 美馬市木屋平森遠671
鯖大師本坊- 海部郡海陽町浅川中相15
不動教会- 三好市池田町州津950-29-11
西光寺- 海部郡海陽町尾崎10
成福寺- 海部郡海陽町塩深114
正福寺- 海部郡海陽町日比原80
善福寺- 海部郡海陽町富田40
徳島の新着口伝
投稿日:訪問日:
杉尾神社|板野郡藍住町 “改築の碑より一部参照”祭神は天石門別八倉比売命(あめのいわとわけやぐらひめのみこと)と申しこの地に奉斎された年代は不詳なるも村民は杉尾大明神と尊称し深く崇拝す。
投稿日:訪問日:
春日神社|小松島市 “春日神社略縁起”当地、和田島の地は那賀川の堆積によって自然的に造成され往古は住民も少なく
漁する人々が この地を訪ねるくらいであった。その昔漁師がこの沖で網を入れて
居ると大きな岩が入り何回 捨ててもはいるので不思議に思いよく岩を見ると春日
大明神と輝いたので驚き奉斎された。霊示により 現今の霊地に社殿を建て鎮祭、
以来この地の氏神として尊崇す。(阿波誌)に春日祠 和田島に在り松樹扶琉側に
若宮在り。
寛文十二年(一六六一年)(現存最古棟札)ご 社殿再建す。近時 昭和二十四年
に社殿改築なすも老朽と狭隘の為改築せんと昭和六十三年正月に起工式 を挙げ若宮社、八幡社を相殿に奉斎す。
この間 昭和七年に海岸国有地十町五反三畝歩を大蔵省より壱阡七百拾五円九 拾七銭で買収した、この社地を利用者に譲渡し改築資金に充当し氏子崇敬者の浄財四阡有余萬円併せ 壱億弐阡余萬円で近郷稀に見る荘厳草麗なご社殿の完成を見た、この改築には氏子民はもとより遠くアメリカに在住する 当地出身者の方々からもご浄財が寄せられ氏子崇敬者の心の故郷として老松の垣間に金色燦然と輝きご神威 益々普き給う。茲にその縁起の概略を記して江湖敬神探勝の士に示す。
昭和六十三年 十月記
投稿日:訪問日:
唯称山 福成寺|板野郡藍住町 “飛脚地蔵伝説”時は戦国時代、阿波の大名三好長治に当寺の住職さんが京都の三好長慶へ手紙を持っていくように頼まれた。
住職は朝一番に出発しょうと、地蔵尊の前に手紙を置き、一睡もせずに朝を待った。出発の前に手紙を確認すると、預かった手紙はなく、かわりに長慶からの返事の手紙があった。
一晩で京都までいってくれた地蔵尊を阿波福成寺の飛脚地蔵と呼ぶようになったと言うこと。
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